北海道出張日記1日目です
朝が早いフライト(8時発)でまずは羽田へ。。。


普段、会社に行くときでも9時に起きてる私にとって8時発っていうのはキケンを通り越してムリです

月曜日からの出張という事で、前日の日曜日は休みだったので、わざと夕方までゴロゴロ寝ていて、朝まで寝ないで空港に行く作戦をとりました
(前にやはり出張で8時発のフライトだったのですが、この作戦であやうく寝過ごす寸前だったことがあるのですが・・・)
荷造りをしながら途中ウトウトしてしまいましたが、今回は作戦が功を奏してちゃんとモノレールで空港に向かう事ができました
今回の出張はちょっとした団体だったのですが、特に集合するとか打ち合わせは無かったので(私が打ち合わせに参加しなかったというのが本当のところですが。。。)あえてまとめてではなく勝手にチェックインをして、空いていそうな席を確保しました
搭乗ゲート付近で一緒に行く団体に見つけられてしまいましたが、一緒に行くはずの上司がいない。。。
時間だったので飛行機に乗りましたが、果たして上司はちゃんと乗ったのか!?
機内では前の晩から寝ていなかったのでグースカ寝たり、空港で買っておいたおにぎりを食べたり、
本を読んだりと、一人離れた席に座っていたので好き勝手に過ごさせてもらいました

羽田に到着して、千歳行きの乗り口に行こうとしたところで上司発見!
ギリギリ乗れたみたいです

羽田で東京支店のメンバーとも合流することになっていたのですが、乗り口に行ってもいない!
一人だけ東京のコがポツンと待っていたのですが、他の人たちは携帯にも出ないって。。。
私の勤めている会社の人間はけっこうマイペースで、ちゃんと集まるわけがないので、また放っておいて飛行機に搭乗しました
あとで聞いた話ですが、東京支店の一人は空港に早く来すぎて寝ているうちに搭乗締め切り時間5分前になっていたらしい。。。そしてもう一人はチェックイン終了後に空港に現れ、もちろん自動チェックイン機では手続きが出来ずに窓口でムリを言って予定の飛行機に駆け込んだらしいです

(駆け込んできたのは私の直属の上司、、、)
羽田から千歳までのチェックインも沖縄でしているので、もちろん私は一人でのんびり♪
千歳に着いたのが12時半くらいだったかなぁ
朝早くから活動している私にとってはもう1日の終わりの時間なんですが、仕事はこれから・・・
とりあえず千歳空港で昼ご飯を食べました


今年初のいくら丼

店で食べるといくら丼って結構高いんですね

空港だから高かったのもあるのでしょうが、私は普段外食でいくら丼は食べないので、値段をあまり知らないんです。。。
それからレンタカーを借りて、団体でどやどやと札幌市内へ移動
札幌では3時くらいから会議をして、夜はすすきので夜ご飯です
札幌支店長が内地各地からやってくるメンバーのために北海道らしい料理を揃えてくれていました



石狩鍋にカキやホタテ、ホッケもありました

私にとっては珍しくはないですが、それでもやはりおいしかった

そのまま2次会でカラオケ。。。
日付が変わってからホテルへ戻ったのですが、もう寝るだけなのでどうでもよかったのですが、この日は私の恐れていた相部屋ではなくひとり部屋を用意してくれていました


この日泊まったのはニューオータニ札幌だったのですが、もちろん場所くらいは知っていたのですが、親と電話で話したら私はどうやら以前泊まった事があるらしい。。。
翌朝ホテルの周りを見てみたら、やはり泊まった記憶がありました



ダルマストーブの形の碑は前にも写真に撮ってます
私が小学生の頃は教室の暖房はダルマストーブだったのですが、その話を中学や高校の同級生にしても通じません。。。
だいぶ上の世代の人と話すと理解してもらえるのですが、「年齢サバ読んでるやろ!?」と言われます。。。
どこの地域でもそうでしょうが、新興住宅地にある小学校や郡部の小学校の方が新しくてきれいなんですよね
私の実家は新興住宅地ではなく、通っていた小学校も沿革なんかを見ていると函館の歴史上の人物の2代目の名前が出てくるような具合で、古い方の部類に入る小学校です
おかげで建物も古くて、図書室の天井が落ちてきたり、教室の床の裏にキノコが生えて床が落ちたとか、今時あり得ないでしょうが学校内に水洗トイレは1カ所だけで、あとは「ボットン便所」と呼ばれていた古い汲取式のトイレしか無かったといった散々な小学校出身なんです
なので、新興住宅地の同世代の子どもは空調設備の整ったきれいな校舎で勉強していたのでしょうが、私は石炭ストーブだったんです。。。
教室にストーブはひとつしかないんですが、それがまた悲惨。。。
小さい頃私は病弱で(!?)冬になると担任は私に優先的に暖かいストーブの前の席を充ててくれるんですが、ボロい校舎なので、窓際の席はすきま風がビュービュー、ストーブから離れた席のコもジャンバーを着ないと耐えられないような寒さなんです
それでストーブをもっと焚けとクレームになるのですが、ストーブ前の私は汗だく

もちろん体育館に暖房はなく、冬はジャンバーに手袋で体育をしてました。。。
今となってはネタの宝庫なので、ボロい小学校出身でよかったと思ってますが(笑)
学校の話ついでに、通っていた中学校はもっと悲惨でした。。。
函館では何度も大火で街が焼けているのですが、昭和の初めの大火の後に、木造校舎では火事で焼けてしまって避難所にならないということで、市内の学校を当時としてはがんばたんでしょうが鉄筋コンクリートで建てたらしいんです
昭和の初めの鉄筋コンクリートですから極端に頑丈。。。
函館市史に
デジタル版があって
昭和の大火の項目を読んでいたら
小学校の位置は、グリーベルトの終端かもしくは交差点の付近に求め、児童教育に閑静な環境を与えるとともに防火線と一緒になって防風、防火の目的を担っているのである。もちろん校舎は、鉄筋コンクリート造である。
まさに記事の通りの学校です。。。
グリーンベルト代わりの公園に挟まれていて、交差点のすぐ側に学校があります
昭和の初めから建ってる校舎だったので、冬には教室に雪が吹き込んだり、体育館の倉庫のマットは凍ってしまったりと中学校の時も悲惨でした。。。
まぁストーブは石油ストーブでしたが、やはり教室に一つでストーブ前の席と窓際では温度差が20度くらい。。。
出張日記のはずが話題が逸れてしまったので、1日目の記事はこれくらいにしときます

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